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ザ・ファミリー全盛期セット (5CDR+1DVDR+1BRDR)

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プリンスのプロデュースで大名作とされるザ・ファミリーのワン・アンド・オンリー・アルバム。その関連タイトルをご紹介します。セット価格で少しお安くしました。

ライブ映像付き!ザ・ファミリー/Family Extended (2CDR+1DVDR)
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ザ・ファミリー / The First Avenue (1BRDR+1CDR)
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プリンス&ザ・レボリューション / The Family Album (1CDR)
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プリンス/The Prince Family (1CDR)
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●ザ・ファミリー・ストーリー

84年のザ・ファミリー結成は、ザ・タイムの解散に対するプリンスの解答と言えるでしょう。モーリス・デイはバンドメンバーであることにもはや興味を失っていて、ロサンゼルスへ移住し、他のバンドメンバー、プリンス、そしてザ・タイムのマネージメントチームとの関係を断ち切ります。モーリスがロサンゼルスにいる間、ザ・タイムの運営は基本的にジェシー・ジョンソンが担っていました。プリンスは当初、ポール・ピーターソンをシンガーとして迎えてザ・タイムとの仕事を続けたいと考えていましたが、ジェシー・ジョンソンはそれを拒否。モーリスの復帰を説得できなかったプリンスは、ザ・タイムは終わったと判断します。ジェシー・ジョンソンもまたソロ・デビューを決意し、ザ・タイムのメンバーだったジェリー・ハバードとマーク・カルデナスがジェシー側へ参加します。

84年6月下旬
プリンスはアラン・リーズと、残りのザ・タイムのメンバー、ポール・ピーターソン、ジェリービーン・ジョンソン、ジェローム・ベントンを自宅に招き、会合を開きました。プリンスは新しいバンドを結成し、ポール・ピーターソンをリード・ボーカルにすると皆に告げます。これはポールには驚きのことでした。実はプリンスは映画『パープル・レイン』の撮影中にポール・ピーターソンの歌唱力に気がついていました。二人は隣同士の楽屋で過ごしていて、プリンスはピーターソンの歌声を偶然耳にして、気に入ったのです。新しいバンドはザ・ファミリーと名付けられ、スザンナ・メルヴォワンがセカンド・ボーカルとして加わります。

ザ・タイムの音楽はR&Bに根ざしていましたが、プリンスはザ・ファミリーにはもっと音楽的に多様なバンドにしたいと考えていました。ジェリービーン・ジョンソンは「プリンスはザ・ファミリーを、より洗練されたジャズ系のバンドにしたいと考えていたんだ。もっと多様な側面を見せたいと思っていた。ジャズ風のインストゥルメンタルや、ポップやファンクの名曲をフィーチャーしたいと考えていた」と語っています。

ザ・ファミリーのデビュー・アルバムの制作は、84年6月下旬、エデン・プレーリーのフライング・クラウド・ウェアハウスで始まりました。プリンスはすぐにこのプロジェクトのために数曲をレコーディングしています。

プリンスはバンドの顔合わせにも臨んでおり、多くの映画や女性向け雑誌に目を通し、ポール・ピーターソンを、ルドルフ・ヴァレンティノのような颯爽としたキャラクターにしたいと思っていました。プリンスのサウンドエンジニアのスーザン・ロジャースは、プリンスがポール・ピーターソンに「ポール、2万人もの女性だよ!ヴァレンティノの葬儀に集まった女性の数だ、2万人もの女性!」と話していたと語っています。

プリンスはまず一人で「High Fashion」と「Mutiny」を順に録音、その後に「Desire」と「River Run Dry」をレコーディングしました。スーザン・ロジャースは「「High Fashion」と「Mutiny」が完成したら、アルバムの残りの曲はスムーズに作られていったわ」と語っています。そして「River Run Dry」はボビー・Zが書いた曲でした。プリンスはボビー・Zに『The Family』のアルバムで使ってもいいかと尋ね許可を得て、プリンスが演奏したバージョンをレコーディングしました(プリンスがボーカルを入れたバージョンの存在は不明です)。

『The Family』の初期セッションで、プリンスは「Mazarati」というインストゥルメンタルをレコーディングしています。これは元々マザラティのデビューアルバム用に作られたものでした。プリンスは、寧ろザ・ファミリーに合っていると判断し、曲名を「Susannah's Pajamas」に変更します。尚初期のコンフィグレーションでは「BMW」というタイトルとなっていました。

プリンスはザ・ファミリー・プロジェクトにサックスを取り入れようとしていました。彼は、アラン・リーズの弟エリックが、84年春にシーラ・Eが結成したバンドのオーディションを受けた際に録音したテープを既に聴いており、しかしシーラはすでにサックス奏者としてエディ・ミニフィールドを雇っていたため、そのテープはしばらく放置されていたのです。しばらくしてプリンスはザ・ファミリーのコンセプトを思いつき、音楽にサックスを取り入れたいと考え、アランに「もし弟がギグをやりたいと思っているなら、チャンスがあると言ってくれ」と告げます。

84年7月2日
そしてエリック・リーズはミネアポリスに来て、ザ・ファミリー・アルバムの4曲、「High Fashion」、「Mutiny」、「Desire」、「Susannah's Pajamas」のサックス・オーバーダブのレコーディングを行います。プリンスはエリックの演奏に大変満足し、プロジェクトに貴重な追加要素となるであろうと確信します。

84年7月14日
プリンスはフライング・クラウド・ウェアハウスでザ・ファミリー・プロジェクト用の曲「Feline」をレコーディングします。この曲はアルバムには収録されませんでした。「Feline」はエリック・リーズのお気に入りの曲でした。「マニアックな曲だったよ。大好きだ。彼がほとんどの作業をしている時にそこにいたんだ。彼はまるで憑りつかれたようだった。アルバムの中では異質で目立っていた」と回想しています。この曲は性的な内容が露骨で、ポールによるラップ「セント・ポールが俺の名前、メイクラブが俺のゲーム」がフィーチャーされています。このラップが後に改変され、シーラ・Eの「Holly Rock」に使用されシーラがラップします。また7月には、プリンスは「Nothing Compares 2 U」をレコーディングし、これでアルバム制作に必要な曲がほぼ全て揃いました。そして続くセッションで、ポール・ピーターソンとスザンナ・メルヴォインがプリンスのガイド・ボーカルを元にレコーディングを開始、そのボーカル・セッションのプロデュースにはデヴィッド・リブキンが参加しています。プリンスは自身のボーカルトラックを忠実に再現することを望んだため、時間のかかる骨の折れる作業となりました。

84年8月19日~10月
プリンスは「The Screams Of Passion」をレコーディング。8月から10月にかけて、このプロジェクトのために「Yes」と「Miss Understood」という2曲がレコーディングされました。80年に作られた「Rough」という曲もアルバム収録候補に挙げられましたが、「Miss Understood」同様採用されませんでした。インストゥルメンタルトラック「Yes」は元々8分近くの長さでしたが、アルバムに合うように編集されています。

プリンスはザ・ファミリーの音楽にサックスを入れただけでなく、より豊かなサウンドにするためにストリングスも加えたいと考えていました。デヴィッド・リヴキンがクレア・フィッシャーに連絡を取り(仲介したのはプリンスの恋人だったスザンナ・メルボワンです)、クレアに「River Run Dry」のテープが送られ、クレアの仕事の仕上がり具合を確認しました。プリンスはその結果に満足し、さらに他の曲もクレアに送られるようになり、追加作業が行われました。デヴィッド・リブキン、スザンナ、そしてジェローム・ベントンは、クレアとのレコーディング・セッションを見るためにロサンゼルスへ向かいます。プリンスは何らかの理由があって最初のセッションに参加できず、その後迷信深くなってしまい、クレアと顔合わせしないようになりました。プリンスはジャケットにクレアの顔が入ったレコードを受け取った時でさえ、目をそらしたそうです。プリンスはクレア・フィッシャーと生涯会ったことがありませんでした。

アルバムのレコーディングは完了しましたが、アルバム制作はパープル・レイン・ツアーが終わるまで保留となります。

85年5月初旬。
プリンスはロサンゼルスのサンセット・サウンド・スタジオで『The Family』のミキシングを開始。ミキシングの段階でいくつかの曲に変更が加えられ、プリンスはいくつかの曲のベース・パートを削除しています。エリック・リーズの言葉です、「プリンスはベースを一切使わないミニマリスト的ムードだったんだ。最終ミックスにはカットされたわけだけど、多くの曲に実はベースが入っていた。そのベース音が恋しいよ。特に「High Fashion」と「Mutiny」の曲でベースが本当に最高だ! ベースが入ったラフミックスを聴くだけで、ファンクの真髄がわかる。これ以上のものは他にないよ」。

85年5月中旬。
ザ・ファミリーはエデン・プレーリーのワシントン・アベニューにあるウェアハウスでリハーサルを開始します。パープル・レイン・ツアー終了後、ペイズリー・パーク・レーベルの他のアーティストである、シーラ・Eやマザラティとの冬季ツアーが計画されます。この時のバンドには、ザ・ファミリーの中心メンバーであるポール・ピーターソン、スザンナ・メルヴォワン、エリック・リーズ、ジェリービーン・ジョンソン、ジェローム・ベントンの他、シーラ・Eのギタリストだった、ミコ・ウィーバーがギターとして抜擢されます。リサの弟デイヴィッド・コールマンにベースを依頼しますが、結局ミネアポリス出身のベーシスト、アラン・フラワーズとなります。同じくミネアポリス出身のビリー・キャラザースと、ウェンディとスザンナの弟ジョナサン・メルヴォワンがキーボードに。またウォーリー・サフォードとグレッグ・ブルックスの2人のバックシンガー兼ダンサーとして加わり、大所帯バンドとなっていました。

85年6月初旬。
シングル「The Screams Of Passion」のビデオはロサンゼルスで撮影されています。ジェローム・ベントンがダンスの振り付けを担当。この曲にはホーン・パートがなく、ビデオではエリック・リーズがベースを持って出演しています。「The Screams Of Passion」はアルバムリリースの数週間前にリリースされました。ビルボードチャートで63位となりました。

85年8月13日
ザ・ファミリーはミネアポリスのファースト・アベニューでデビュー・ライブを行います。
40分少しと短い演奏時間でしたが好評を博しました。

85年8月19日
ザ・ファミリーのデビュー・アルバム『The Family』のリリース。エリック・リーズのホーンパート、クレア・フィッシャーのストリングス、そしてウェンディ・メルヴォワンによる「Yes」でのリズムギターパートを除き、アルバムの残りの曲はすべてプリンスが演奏しています。プリンスはアルバム・カバーに「Nothing Compares 2 U」のみクレジットされていますが、「River Run Dry」を除き、全曲を作詞作曲しています。アルバムはビルボード・チャートで62位止まりでした。

ジェローム・ベントンとスザンナ・メルヴォワンがプリンスと共にフランスに滞在し、2作目となる映画『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』の撮影中だったため、ザ・ファミリーのリハーサルとツアーの計画は保留されていました。この間、映画に出演しようと、ポール・ピーターソンもロサンゼルスで演技のレッスンを受けています。しかし出演はおろか、ザ・ファミリーのアルバムとシングルのプロモーション活動も行われずとなってしまいます。

85年11月初旬。
プリンスがまだフランスに滞在していた頃、ロサンゼルスにいたポール・ピーターソンはプリンスと電話で話し合い、ポールはザ・ファミリーからの脱退を告げます。

彼の決断には様々な要因がありましたが、主な理由は、ポールがザ・ファミリー・プロジェクトへの薄い支援とプロモーション活動、バンドメンバーに支払われる金銭の不足に強い不満を抱いていたこと、そしてアルバム制作において自分が貢献できるクリエイティブな意見がほとんど出来なかったことに失望していたことでした。ポールの脱退発表は他のバンドメンバーを驚かせましたが、ポールと同様の不満を抱いていたメンバーも少なくありませんでした。それがザ・ファミリーの終焉となりました。

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